2025年9月12日 大原神宮(元大原)を訪ねる。

ここは、南丹市美山町。昔は、北桑田郡美山町。そう!茅葺き屋根の連なる美しい里山で有名になった。

一度、行ってみたい、いや行かなきゃいけない神社があった。そう!大原神社。福知山市三和町大原の大原神社と同じ名前。しかしながら、ここ美山町の大原神社が元なのだ。西暦645年孝徳天皇の御代に創建されたと書かれている。我が故郷の大原神社は、852年に遷靈されて来た。どこから?ここ美山の大原神社から。だからここは、「元伊勢」ならぬ「元大原」。

「元伊勢」とは、なんぞや?とハテナ?な方に簡単に説明すると・・・。崇神天皇の御代、疫病が流行し、国民の半分が死んだ!とある。そして地震などの自然災害に戦争の人災もあったのだろうと想像する。なぜこんなことが起こる???と崇神天皇は「祟り」を恐れた。今の私たちからすると「祟り」って非科学的と思うかもしれない。しかし、祟られる心当たりが確かにあったのだろう。今の奈良県三輪山の麓に宮を営み始めたのは、崇神天皇の御代よりはるか昔、出雲系のオオモノヌシ達であった。出雲国譲り伝説、神武東征など、日本書紀や古事記に記されている物語は、天照を祖神とする勢力が天から天下った我らが神であるとマウントをとった物語であると想像する。その過程で大変な裏切りや殺人行為が行われた。初代天皇神武から第10代開化天皇まで、その間の2代〜9代天皇を欠史八代として何も功績が書かれていない。日本書紀にも古事記にも!力で支配者になった古事記、日本書紀の編纂者は、極悪非道に力で奪い取った勝者我ら先祖の歴史を、隠したかった。自分たちより素晴らしい政をしていた海神族(出雲系)を消したかった。そして決定的に消した。さてはて、第11代崇神天皇は、この災難を収めるにはどうしたら良いか???神からの声を聞いた。「大物主の神をお前ではなく、オオタタネコに祀らせよ」と。だれ?オオタたねこさん?これは、どういう意味か?海神族達は、自然森羅万象を神として感謝して生きてきた人たちであり、三輪山を御神体として宮を営み政事をしてきた人たちである。その場所を卑劣な方法で背乗りした天孫族の子孫である崇神天皇達が我らの神に仕立て上げた天照大神とこの土地の祖神である大物主を宮殿に一緒に祀った訳である。もし、私が、海神族の初代大物主じいちゃんだったら、死んでも子孫たちの幸せを祈り、豊かに繁栄して生きている様子を嬉しく見守るであろう。しかし、可愛い子孫達が、悲しく苦しい思いで生きていたら、殺されたら、それを強いた奴らを恨み憎み呪うであろう。その張本人が我がふるさと子孫達の地を乗っ取り、子孫のフリして自分を祀り、自分の子孫を根絶やしにした天孫族天照と一緒に祀られたら、怒り狂うであろう。オオタタネコは、可愛い出雲系の血を引く数少ない子孫であった。崇神天皇は、オオタタネコを探し出して大物主を祀らせる。そして天照大神に対しては、三輪山の土地は、深い憎しみが残っているので、天照大神を祀る場所を別に探すことになった。ここでやっと元伊勢の話に戻る。今、天照大神をお祀りしている神社は、誰もが知っている「伊勢神宮」である。万世一系と言われる現在の天皇家の祖神天照大神が住まう場所伊勢は、シャーマンである倭姫命が40年かけて26ヶ所にも及ぶ遷座の旅を続けた挙句にたどり着いた地だった。最初に4年遷座させた場所が、今の京都府宮津天橋立にある籠神社(真名井の宮)だった。なぜか?倭姫命の母は、日葉酢媛。第12代垂仁天皇の妃であり、丹後で生まれ育ったお姫様。倭姫にとって先祖達の故郷、豊受大神が住まう母のような大きな懐の地が良いのでは?と最初のインスピレーションが降りてきた所が丹後真名井の地だった。それから転々と25箇所天照大神は、引越しを繰り返した。その転々と遷座された宮を元伊勢と呼んでいる。

ここ美山の大原神社は「元大原」と呼ばれているが、「元伊勢」が籠神社はじめ26箇所あるのとは、違い、「元大原」は、ここ美山の大原神社一つだけ。というのは、あまりにも靈験あらたかで、多くの参拝者が大原詣でをされる為、全国にその御靈を分靈して各地に遷座創建した分家の神社が沢山のある訳だ。沢山のある分家は全国に何箇所あるのだろう?ネット上で見つけられる「大原」と名のつく神社は、16箇所。ネットの海の中では、見つけられない「大原神社」もあるだろうが、美山の大原神社と刻まれた石碑の上に十六菊花紋が堂々とあるのが、リンクしているようで。。。主祭神は、伊邪那美命 伊奘諾命 天照大御神。16の中の一つ「大原八幡神社」が氣になる。住所が、福岡県京都郡苅田町新津…。”京都郡”???。神系図がHPに載せられていた。籠神社の国宝海部氏系図と同じ祖神が天火明命(あめのほあかりのみこと)。その何代もあとに登場する大原足尼命が大原八幡神社の主祭神。これは誰?あかん、止まらない。ある神社歴史系のブログで見つけた記事→「大原八幡宮の本来の神とは大原足尼命とその子の小登與命ではないか、と推定されていた。」お〜、トヨが出てキタァ〜。「登與」〜とよ〜 海部氏系図に出てくる漢字と同じである。繋がっている。

私が生まれ育った丹波(タニワの国)は、日本という国が出来る礎を築いた場所ではないか?広い海を空の星を見て、潮の流れをよみ、風を感じて、自由に駆け巡ったラピュタ族(海族)。ワンピースOne peaceの世界観。空想と妄想は自由に太古の昔に飛んでゆく。

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